私はよく人から聞き上手だねって言われます。
ただ喋るのが面倒くさいから適当に相槌を打っているだけなのですが
でも、たしかに言われてみると世の中には自分の話をしたい人の方が多いような気がします。
私は自分の話を聞いてもらうことにそれほど興味がありません。
(どっちかと言うと自分の話はあまりしたくない方)
では、なぜ私は自分の話を聞いてもらいたい欲求が低いのか。
今回は掘り下げていこうと思います。
おしゃべりクソ野郎になりたくない
おしゃべりクソ野郎ってなんだよって感じですが、とにかく相手の様子を伺いもせずひたすら自分の話をマシンガントークしてくる人です。
私は略しておしゃクソと呼んでいます。
もうね、聞き手に回るのは「おしゃクソになりたくない」ここに始まりここに終わるってくらい大きな理由ですね。
中学生くらいまでおしゃクソな大人や同級生に囲まれていたので「絶対にこうはなりたくない」という強い信念が醸成されました。
興味のない相手の話を延々と聞かされる苦痛を味わう中で、誰もお前の話なんか興味ねぇよ…と幾度となく感じる。
そのうち「自分の話に興味を持ってくれる人は居ないだろう」に変わっていってしまいました。
改めて考えると、興味があったり好きな人の話ならいくらでも聞きたいと思うし、それを裏返せば私を好きでいてくれる人は私の話が聞きたいのだろうと考えられます。
でもそれに気づくのが遅すぎて振り切ってしまい、誰も私の話を聞きたくないという誤った信念が形成されました。
その信念は今なお私の心の中心に鎮座しています。
不用意な自己開示は利用される
学生時代の「絶対秘密だからね」は翌日にはクラス中に知られている運命にあります。
誰もが経験するありふれた裏切りだと思いますが、私は多分、人よりもそのショックを重く受け止めてしまいました。
不用意に自分の話をするな。
中学の時に胸に刻んだ教訓でした。
1人反省会が辛すぎる
友達と喋って帰った帰り道、ひとりで電車に揺られているとふと考えてしまう。
「あの発言は余計だったかな」
「あれは聞かない方が良かったかな」
こんなこと考えても言っちゃったもんは仕方ないし、自分の発言によって相手が不快感を感じたかどうかは結局わかりません。
なのに延々と考えてしまう。
いわゆる1人反省会の時間って不毛すぎるんだよね。
1人反省会を辞めるには極力自分は喋らず余計なことを言う確率を下げ続けるしかありません。
こうして私は「聞き上手」になりました。
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